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AIで言ったもん勝ち 第6章『松本人志』

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現時点では、AIが人間と同様な感情を持つことは難しいようである。
だが、AIは、人間の感性が最大限に発揮される芸術の分野である音楽や絵画、詩などでも高いレベルの作品を生み出すことができるようだ。
それは、AIに優れた芸術家の作品や作風などのデータを大量にインプットし、それを情報処理することで作品としてアウトプットするからだ。

だが、感情がないAIが作った作品は果たして感性豊かな人間の心に響くのだろうか?

こんな実験がある。
優れた作曲家が作曲した曲とAIが作った曲をどちらか分からないようにクラシック音楽の批評家に聞かせて、どちらがより良い曲かを選ばせるという実験だ。
結果、実験前はバカにするなと怒っていた批評家が選んだ曲、それはAIが作った方だったというのだ。
まるで、コントのようである。
(是非GACKTにも挑戦して欲しいところだ笑)

人間の得意分野と思われる芸術の世界でもシンギュラリティが起こりつつあるのだ。

しかし、人間が芸術作品を鑑賞する時は、作品の良し悪しだけではなく、その作品が作られたバックボーンだったり作者や指揮者の個性やスタイルなどのオリジナリティを楽しむものではないだろうか。
それが、AIが生み出す作品にはない。計算づくで画一的な作品には〝面白味〟がないのだ。
つまり、計算や処理能力、記憶力が優れる合理的なAIに個性やスタイルがないとしたら、個性やスタイルといったものは、言い換えれば不完全さではないだろうか。
ゆえに、不完全さが人間であり、不完全さは個性であり、個性は面白さだと考えられないだろうか。

そして、もう一つ、AIと人間の違いがある。

それは、人間がAIに勝てなくなっているチェスや将棋、囲碁それに音楽や絵画などは誰が作り出したものなのか?ということである。

もちろん、それは人間である。
どんなに進化したAIでも、全く新しい〝何か〟を作り出したという話は聞いたことがない。
人間は0を1にすることが出来るが、AIは1を99999…にすることしか出来ないのである。

かつてダウンタウン松本人志は、周りに頭が良いと思われたいがために一生懸命クイズの答えを覚えようとしている山崎邦正にこう言ったという。

「そんなのただの記憶力やん!そんなもん覚えれば誰でも答えられる!俺は答えのないものの答えを探し求めたいし、そこに燃える!」と。

これこそが人間力なのかも知れない。

つづく(次回最終回)