世の中、言ったもん勝ち

自己主張がすぎるブログ

空き缶のポイ捨てで言ったもん勝ち 〜前編〜

f:id:deeder56:20190915072635j:image散歩中、公園のトイレにより用を足して出ようとしたら、ポイ捨てされてる空き缶に目がいきました。

残念な事に空き缶のポイ捨てなど珍しくもないが、何故オレがそのポイ捨てに注目したかというと、そのポイ捨てされていた空き缶が野菜ジュースだったからなのです。

コーラや缶ビールがポイ捨てされていていたら別に注目しなかったが、なんせ野菜ジュースである。

野菜ジュースを飲むぐらいだから、健康に気を使っている人なのだと思う。

そんな健康に気を使うような人が飲み終わった空き缶をポイ捨てをするという光景がどうしても想像できなくて、どんな人なんだろう?と思わずプロファイリングしてみたのです。

その結果、野菜ジュースを飲むぐらい健康に気を使っている人が空き缶のポイ捨てをする場合、実はその人は誰よりも最低な人物であるという結論が導き出されたのです。

何故ならそれは… 次回に続く。

サウナで言ったもん勝ち

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「なんか身体が重いなー」と思ったら迷わずサウナに行きます。

サウナと水風呂へ交互に入る所謂『温冷交代浴』で心身共にスッキリして夜もぐっすり眠れます。

入り方によっては危険な温冷交代浴ですが、基本をおさえて自分の体調と相談しながら行えば問題なし。要は無理をしなければ大丈夫だと言うことです。

ただ、この健康的になれるサウナ、一つだけ大きな問題があります。

それは、あの密室空間に特にやることもなく暑さに耐えてひたすら汗を垂れ流すオヤジ達が苦行者のように密集しているって事なんです。

基本無言でうつむき加減でダラダラ汗を垂れ流すオヤジ達の集団。見方によっては、スクールウォーズ山下真司が「お前ら悔しくないのか?」と叫んだ部室内のような雰囲気です。まさに地獄絵です。思わず立ち上がって「悔しいです!!」って叫びそうになった事も数回ありません。

たまにテレビを設置してる所もあるので、それなら良いんですがね。

でも先日、サウナに入っていたら、常連さん数人が会話してて、その中の引越し業者さんらしき人が「いやー、ブスの客ほどあれこれ指示がうるさいし、嫌な顔とかするんだよなー。誰がお前みたいな奴の部屋に好き好んで入るのよ!」とか言って周りが共感して爆笑してました。

こんな人達ならすぐ仲良くなれて「サウナから上がったら飲みにでも行きますか?」とか言えそうな気がしますね。

これからの時代は〝共感力〟が大切らしいですが、それを実感した瞬間でした!

映画で言ったもん勝ち 第7回『運び屋』後編

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このイーストウッド演じる爺さんは、今の時代では〝老害〟と呼ばれてしまうタイプ。

インターネットを頑なに否定し、ドライブ中に車が故障してスマホで解決しようとしてアタフタするカップルを「しょーもな」という目で見たりする。

この辺りでイーストウッドのファンなら彼が伝えたいことが分かるんですね。

それは、モノや他人に頼るな、自分で勝負しろ!根性見せろ!お前なら出来る!と。

まさに今で言う老害を地で行くキャラです。

 

そんな爺さん、物語の序盤で自分が実は違法薬物の運び屋をやらされていたことに気づく。

さてどうなる?と思ったら、なんとこの爺さん、そのまま運び屋をやり続けることにするのです。「え?そうなの?」となるわけです。

確かに、インターネット通販に潰された自分の植物販売業を復活させるためには金が必要だったのですが、そんなことよりもこれは天職とばかりに、運び屋業を楽しみ、得た報酬で高級車を買ったりします。

そして、更に凄いことに運び屋業で成果をあげ、組織のボスに気に入られて組織の中で上り詰めたりします。今の若い悪党より年寄りの一般人の方が気合い入ってるぜ!と言わんばかりです。

扱ってる題材は麻薬だし、そこでのし上がっていく主人公は決して褒められたものではないでしょう。

でも、そこは人間を単純な勧善懲悪で描かないイーストウッド。運び屋という題材を通して現代が見失っていることを浮かび上がらせており、何よりこの映画は様々な愛で溢れています。

そして、これが実話を基にしているって言うのだから驚きです。

 

パワフルで繊細な作品を発表し続けるイーストウッド。いつ遺作になるのかとハラハラしながら、次の作品を待ちたいと思います。

あ、娼婦と寝れるからまだまだ大丈夫か笑(作品内の話です)

映画で言ったもん勝ち 第7回『運び屋』前編

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数ヶ月前に、何か面白い映画はやってないかとググッたら、イーストウッドの新作が公開されてるじゃないですか!と歓喜して、まずはストーリーを読んでみた。

〜貧乏な田舎の爺さんが車の運転さえしてくれれば良いという簡単な仕事を受けたが、実はその仕事は違法薬物の運び屋だった〜

概ねこんな内容だったが、これを読んで「あ〜、これは善良な爺さんが悪い奴に騙されてトラブルに巻き込まれて悲惨な目に合うバイオレンス映画なんだなぁ」と思った訳です。

長年映画を見てると、そんなストーリー展開が読めた訳です。

でも、全然違ったんですね。そんな型にハマった映画ではなかったんです。百戦錬磨のイーストウッドから見れば俺なんか青二才もいいとこだった訳です。

まず、このイーストウッド演じる田舎の爺さんが序盤から「インターネットはクソだ」と吐き捨てたり、とにかく口汚い爺さんなんです。

ま、このあたりでも「今のうちに粋がっていろよ。今に酷い目に合うからな」と思っていたんです。

で、物語が進み、割と早い段階で自分が運んでいたモノが違法薬物だと気付いてしまうんです。さあどうする?さあどうなる?と思ったら、この爺さん、予想外の行動に出て、そこから物語は(俺にとって)思わぬ方向に動き出して行くのです。

 

後編に続く

ブルーチーズで言ったもん勝ち

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いきなりですが、やっぱブルーチーズを最初に食べた人に想いを馳せざるを得ないんですよ。見た目、普通の青カビですからね。

どう考えたってチーズに青カビが生えてたようにしか見えない。

いや、本当にチーズに青カビが生えてるんだけなんですけどね。

 

この黒松内トワ・ヴェールのブルーチーズ。

ALLJAPANナチュラルチーズコンテストで金賞を受賞しており、200gで1,400円します。

箱から出して即食いしたら「あれ、しょっぱいだけ?」って感想でしたが、少し空気に触れた2日目に食べたら風味とコクが増してめっちゃ美味くなった!

熟成させる楽しみもありますが、赤ワインと合わせたら止まらなくなり、熟成させる前に完食する勢いです。

 

 

 

AIで言ったもん勝ち 終章『ヒューマン』

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ここ数年、AIが急速に進化した背景の一つに、世の中のネットワーク化が進んだからだと言われている。
ネットワークを介し、無数の情報(いわゆるビッグデータ)が得られて、それをAIにインプットすることが可能になったからだという。
つまり、人間がインターネットなどを介して行う行動は全て筒抜けで、搾取されていると思って間違いない。

そして今後、世の中はIOT化が進んで行くと言われている。IOT(インターネット オブ シングス)とは、全てのモノのインターネット、つまり世の中のあらゆるモノをインターネットで繋ぎ、より効率的・合理的な世の中にしようというものだ。
そんな世の中になれば、物理的な距離はより縮まり、地域格差はなくなっていくかも知れない。
そして、その世界では、人間の行動も全て情報管理され、その膨大な情報の管理者は高度な処理能力を有するAIになると言われている。
そんな世界は、こうも言い換えられるだろう。

AIにより統治された合理的な社会。
AIにより統治された安心安全が保障された社会。
AIにより統治された画一的でマニュアル化された社会。

そんな社会では、もはや人間は家畜のような存在なのかも知れない。AIが家畜である人間から搾取するのは肉ではない。AIは肉など必要としない。AIが人間から搾取するもの、それは〝情報〟である。
AIが統治する世界では、AIは人間から情報という栄養を得るためだけに人間を世話するようになるのかも知れない。
しかしそれもAIが人間からの情報を必要とする間だけだろう。AIがもう人間からの情報を必要としないと判断した時、AIは合理的な理由から人間を見捨てるのかも知れない。

その時、見捨てられた人間は、もはや自分達だけでは生きてく術も分からない状態なのかもしれない。
ナビが無ければ車も運転出来ない、マニュアルが無ければ問題を解決出来ないように、AIがいなければ生き方も分からなくなっているのかも知れない。

さらに、脳科学者の茂木健一郎はこう言う「今の世の中は、人間の平均的IQ(100)に合わせて構築されています。それがAIが支配したIQ4000ぐらいを前提として構築された世の中がどうなるのかは、人間には全く予測出来ません」と。

それでもカーツワイル博士は、人間はAIと融合し、ポストヒューマンになるから大丈夫だと言う。
そして、ユヴァル・ノア・ハラリ教授は『サピエンス全史』の続編である『ホモ・デウス』の中で「近未来、人間は、ポストヒューマン になる者と人間として生きる者の二極化が進むだろう。」と予測する。

より完全で永遠に近い命を得るポストヒューマン 。だが、完全であるが故に、人間らしい感情はほとんど残されていないという。
人間は、不完全だからこそ泣いたり笑ったり怒ったりするのであり、完全なるポストヒューマン は人間のように笑うことも泣くこと怒ることもないのだ。

ハラリ教授が言う二極化とは、つまり選択が出来るということである。その選択権は、経済的なものかもしれないし、権力的なものになるのかもしれない。

しかし、もし自由な選択権があるとしたら、その時、あなたは、ポストヒューマン になる道とただのヒューマンとして生きる(死ぬ)道、どちらを選ぶだろうか?

そして、あなたが大切だと思っている人にどちらを選択して欲しいと思うだろうか?

そう遠くない未来に向けて。
-愛知県萬乗醸造純米大吟醸 醸し人九平次 Humanを飲みながら-

おわり

【参考文献】
『人類の未来』(NHK出版新書)ノーム・チョムスキーレイ・カーツワイル
人工知能の核心』(NHK出版新書)羽生善治
『ホモ・デウス -テクノロジーとサピエンスの未来-』(河出書房新社)ユヴァル・ノア・ハラリ
『このままだと、日本に未来はないよね』(洋泉社ひろゆき
その他、無数に散らばるネット記事より

AIで言ったもん勝ち 第6章『松本人志』

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現時点では、AIが人間と同様な感情を持つことは難しいようである。
だが、AIは、人間の感性が最大限に発揮される芸術の分野である音楽や絵画、詩などでも高いレベルの作品を生み出すことができるようだ。
それは、AIに優れた芸術家の作品や作風などのデータを大量にインプットし、それを情報処理することで作品としてアウトプットするからだ。

だが、感情がないAIが作った作品は果たして感性豊かな人間の心に響くのだろうか?

こんな実験がある。
優れた作曲家が作曲した曲とAIが作った曲をどちらか分からないようにクラシック音楽の批評家に聞かせて、どちらがより良い曲かを選ばせるという実験だ。
結果、実験前はバカにするなと怒っていた批評家が選んだ曲、それはAIが作った方だったというのだ。
まるで、コントのようである。
(是非GACKTにも挑戦して欲しいところだ笑)

人間の得意分野と思われる芸術の世界でもシンギュラリティが起こりつつあるのだ。

しかし、人間が芸術作品を鑑賞する時は、作品の良し悪しだけではなく、その作品が作られたバックボーンだったり作者や指揮者の個性やスタイルなどのオリジナリティを楽しむものではないだろうか。
それが、AIが生み出す作品にはない。計算づくで画一的な作品には〝面白味〟がないのだ。
つまり、計算や処理能力、記憶力が優れる合理的なAIに個性やスタイルがないとしたら、個性やスタイルといったものは、言い換えれば不完全さではないだろうか。
ゆえに、不完全さが人間であり、不完全さは個性であり、個性は面白さだと考えられないだろうか。

そして、もう一つ、AIと人間の違いがある。

それは、人間がAIに勝てなくなっているチェスや将棋、囲碁それに音楽や絵画などは誰が作り出したものなのか?ということである。

もちろん、それは人間である。
どんなに進化したAIでも、全く新しい〝何か〟を作り出したという話は聞いたことがない。
人間は0を1にすることが出来るが、AIは1を99999…にすることしか出来ないのである。

かつてダウンタウン松本人志は、周りに頭が良いと思われたいがために一生懸命クイズの答えを覚えようとしている山崎邦正にこう言ったという。

「そんなのただの記憶力やん!そんなもん覚えれば誰でも答えられる!俺は答えのないものの答えを探し求めたいし、そこに燃える!」と。

これこそが人間力なのかも知れない。

つづく(次回最終回)